てつがく屋(旧学舎フィロソフィア227)

香川県で哲学カフェや哲学読書会など文学系サロンを開催しています。

「価値があるってどういうこと?」

 

 「価値があるってどういうこと?」 

 

具体的に何の価値であるのか、具体的に指示せず「価値」そのものをテーマにすることで、どのような対話が生まれたのか、レポートとしてご紹介します。

 

 

アートや芸術に関する価値、個人的な価値、人と人をつなぐ社会の共通項としての価値、相対的な価値、絶対的な価値、経済、宗教、様々なことが「価値」に関連しているということが、皆さんの言葉を通して語られました。

 

個人の内的な価値と社会的な価値?

 

参加者からは、他者からの評価によらない、自分自身の充足や満足としての「価値」についての発言がありました。

一方で、自分の中だけで終われないものもあり、社会の中でやりとりするための「共通」できるものとして、お金であったりする「価値」についても語られました。

 

 

資本主義的な価値?

 

そしてこんな面白い意見もありました。

 

今、私たちは価値の話をしているのだけれど、それは「資本主義的な価値」というところでしか、語れていないのではないだろうか?

今、対話に出てきているのは、精神的なものも混じってはいるけれども、ほとんど物質としての価値じゃないかな。資本主義は、どんどん成長して行くということが前提にあって、モノも制度もどんどん変化して行って、価値がどんどん変わって行くんじゃないかな。すると価値は相対的だよね。

 

でも、私たち人間は、何かそうじゃない形での「価値」を持っているんじゃないかな?

それを「価値」という言葉で表現するのが合っているのかどうかわからないけど。それをどう表現できるのだろう?

 

 

価値は相対的?絶対的なものはある?

 

相対的な価値に対して絶対的な価値ってあるのかな?

例えば、絶対的な価値という意味での「人間の命」というのはどう?という提案もありました。

また別の参加者からは、絶対的な価値といえば、かつては、やっぱり宗教における神の存在なのかな?という言葉も。
お金で測れないものは、今でも意外と「神」って言葉を使ってるんじゃないかな?「神ってる」とか「神対応」とか。

 

もちろん「価値というのは、相対的だと思うな」という意見も複数ありました。

 

個人の価値観は変わって行く?

 

次のような意見も印象的でした。

価値は、どうしても相対的なのではないかと思うのだけれど、自分自身の中でも価値観は変わって行くんじゃないだろうか。過去の経験にしろ、その成長の過程で積み上げてきたものによって一人の人間の中でも変化して行くんじゃないかな。

 

自由だから、今日のテーマは成立する?

テーマそのものに関わるこんな指摘もありました。

資本主義には、「自由」が加わっているような気がする。だから多種多様な価値観があって、「価値があるってどういうこと」という今日のようなテーマが成立できるんじゃないかな。

 

 

価値観は相対的だから不安?

 

この多種多様な価値観は相対的なものかもしれない。でも、相対的であるからこその不安もあって、だから人は、どこかで拠り所として絶対的な価値を求めるのかもしれない。

 

次のような意見もありました。

「絶対的な価値は私だ!!と思っています。外に絶対的なものを求めるのは危険な気がして。でも価値観は育てて行くものだと思います。」

 

 

まとめ

このように11名の参加者の皆さんのそれぞれの言葉から語られる内容が、時に雑談となって横道に逸れたり、時に微笑ましい笑いが起きたりしながらも、「価値」の核心に迫るものになっていったと思います。少し何かが形になってきたように思えると、新しくどんどん疑問も湧いてくる、そんな回でした。
全ての方のどのご意見も「価値」について考えるうえで、とても大切なものでした。

皆様のご参加ありがとうございました。